kodomotachi-doshiteru’s diary

実子誘拐被害者の雄叫び

裁判官の責任

以下の3.11の記事を読んでいると、大人の「責任」を考えさせられます。
子供の命を預かっている保育園の職員にとっては非常に大きな課題ですよね。


これを今回の私の件にあてはめて、
記事の最後の文言は、こんな風にも言えるかなと思いました。


************************************
子どもの人生を決めてしまう(家庭)裁判所で、
どう対応するかを本気で議論するのは完全に大人の仕事で、大人の責任です。
(妻側の)虚偽主張などを容認するなどもってのほかで、
裁判官は、自分の判断の責任を一生背負っていかなければならないと思っています。
************************************


裁判官は、それだけの責任のある職業だと思います。
是非とも真剣かつ公平に取り組んでいただきたいものです。

私から「憲法違反」とか言われている場合じゃないし、
判例に無理矢理あてはめて、自己保身をしている場合じゃないと思います。
判例にあてはめるだけならホントに中高生でも出来ますよね。
しかも、時間がないからと調停を切り上げてしまうなどあってはならない事です。
ケースバイケースできちんと判断する事に、裁判官の存在意義があると思います。

 

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190311-00000017-asahi-soci
https://www.asahi.com/articles/ASM376D1MM37UTFL00R.html?iref=pc_ss_date


引き渡した園児9人、津波で犠牲「自分がした判断は許されない」
震災8年、保育園長が語った後悔と教訓「保護者に園児は引き渡さないと決めた」

(2019年)3/11(月) 6:42配信 朝日新聞デジタル


地図上で震災当日に避難した経路をたどりながらインタビューに答える大槌保育園の八木沢弓美子園長=岩手県大槌町


東日本大震災当日、保育園や幼稚園が保護者に引き渡した園児が、その後の避難中、津波にのまれて亡くなった例が相次ぎました。岩手県大槌町の認可保育園「大槌保育園」もそうでした。八木沢弓美子園長(53)は、8年を経て初めて朝日新聞の取材に応じ、胸に秘めていた後悔と問いかけを口にしました。そのわけとは――。


――震災前から、熱心に避難訓練をしていたと聞きます。

定期訓練とは別に、事前に職員にも知らせない抜き打ち訓練もしていました。一度はお昼寝中にいきなり始めました。国の最低配置基準では保育士1人あたりでみる子どもの数は0歳児なら3人ですが、やってみると、1人で3人抱えるのは無理とわかった。そこで、給食の調理師や栄養士も含めてこの子をおんぶするのはこの職員、と担当を決めていました。町が一次避難場所として指定していた空き地は雨風もしのげず、子どもの足で歩いて15分はかかった。自治会と相談して、高台のコンビニを独自に津波避難場所と決め、5分で走って逃げる訓練を繰り返していました。


――震災当日は、そのコンビニにも津波が?

当日は揺れを感じてすぐ、「地震です。先生のそばに集まって下さい。大丈夫、こわくないからね」と園内放送し、揺れが収まったらすぐ職員が園児に防災ずきんと上着を着せました。園庭に整列させ点呼をとる決まりになっていましたが、そんな時間はないと判断。職員20人で、110人ほどの子どもを準備できたクラスからすぐ避難させました。コンビニの駐車場にいると次々に保護者が迎えに来ました。約70人の子を引き渡した時点で、ふと水門の方を見ると、決壊し、電信柱がなぎ倒されていて津波と気づきました。残った40人ほどの子どもと国道を駆け上がり、国道沿いの山の急斜面を四つんばいになって必死に登り、何とか助かりました。暗くなってきたころ火災が起こり、また内陸側へ避難しました。子どもたちは誰1人泣かず、しーんとして、街が津波にのみこまれ、火に巻かれる様子をじっと見ていました。歩いて迎えに来た保護者に全員を引き渡し終えたのは2日後のことです。


――一方で、当日、コンビニで引き渡した園児のうち9人が犠牲となりました。

多くが保護者とともに亡くなりました。最後に引き渡した子は、遺体安置所で小さな右手を見たとき、すぐわかりました。保育士を辞めなければならないと思った。今でも、その子が「こわい」と言って私の左足にしがみついていたあの日の感触がよみがえることがあります。遺族の気持ちを思えば、自分がした判断は許されないものです。


――ほかの子どもたちに変化はありましたか。

震災から半年後、親子遠足を計画した時、「行かない」という子がいて、子どもたちみんなで話し合うことになりました。その中で、初めて亡くなったお友達の名前が出ました。ある年中の女の子が、「なんで津波が来たんだろう」と語り始め、「園長先生がさ、(犠牲になったTちゃんたちに)『おうちへ帰らないで!』って言えばよかったじゃん!」と言いました。初めてぶつけてきた本心でした。「Tちゃんに会いたい」と言って、私も含めたみんなで号泣しました。親族や家をなくした職員も多く、津波の話は避けていましたが、正直に向き合わない大人たちの心を見抜いていたのです。子どもの代弁者は大人だけど、大人の代弁者も、子どもたちだと気づきました。言えないことを言ってくれた。以来、私たちも、悲しいときは保育中でも「あの子のこと思い出して泣いちゃったよ」と言って泣き、感情を出すことから逃げないようになりました。津波ごっこ地震ごっこといった遊びも最初は多くて戸惑いましたが、喪失感に打ち勝とうとする子どもの自然な反応だったと思います。さらに半年経つと、年長児が、クラス全員の写真を飾りたいと言ってきて、部屋の一角にその場所を設けました。子どもたちは、写真の前に給食やおやつをお皿にのせて一口ずつ出して、あげていました。


――震災後に園で決めた災害時への備えは?

いつでも避難できるように昼寝時のパジャマへの着替えをなくし、入園式の時には、保護者の方たちに「引き渡しはしません」と明確に言って了解を得ています。何度も職員どうしで話し合って決めたことです。


――全国では、災害時を想定して保護者全員が迎えに来るのを待つ「引き渡し訓練」を実施している園も多いです。

震災後、ある地域で講演で呼ばれた時に、そういった訓練があることを初めて知りました。なんで引き渡すんでしょう?海から200メートルの園の園長に質問を受けた時、
「立地的にうちの園で全員を守るのは難しいから、すぐ親に引き渡せばいいんですよね」とおっしゃっていて、危機感を感じました。津波などの災害時、安全な場所や避難経路は刻々と変わります。現場にいる私たちが、そのつど判断をし、行動をとらないと、子どもの命を守ることはできません。迎えに来る保護者が、途中で被災するリスクもあるうえ、前線で誰かを助けなければならない仕事の保護者もいるでしょう。保育園や幼稚園に子どもがいる間は、そこにいる大人は100%子どもを守るというスタンスに立たないといけない。


――ただ、施設側が誤った判断をした場合、引き渡さないと逆に命が守れない危険もあるのでは。
教員と避難中に児童が犠牲になった大川小の例もあります。もちろん、津波などの水害と他の災害は違いますし、保護者の理解も必要です。全国全ての園で引き渡しが100%よいとは思っていませんが、うちの園では引き渡さないことが「ベスト」だと思う。(犠牲になった)9人のことを思い返しながら、職員どうしで何度も話し合って決めました。


子どもの命を預かる施設で、どう対応するかを本気で議論するのは完全に大人の仕事で、大人の責任です。私は、自分の判断の責任を一生背負っていかなければならないと思っています。


(聞き手・田渕紫織)
朝日新聞社
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++