kodomotachi-doshiteru’s diary

実子誘拐被害者の雄叫び

男の離婚事情【調停~】実体験で分かった現実(2)~妻の主張~

平成30(2018)年2月26日、1回目の調停期日。
妻側から裁判所に提出された書面をベースに裁判官が私に質問をする。
何故、妻側の書面ベースかと言うと、おそらくですが、
妻が離婚調停、私が円満調停を申し立てており、
どちらかというと
 私が、内容をぼかした、やんわりした書面を提出し、
 妻が、事細かに超攻撃的な書面を提出した
からかなと思います。

その質問は(確か…)主に以下3つです。

①「平成26年ころから会話はありませんでした。」
 (妻の裁判所への書面より原文のまま抜粋)に関して。
 会話が無くなった時期、会話の頻度など尋問されました。
 まぁ、妻と私の言っている事が見事に噛み合わないこと。
 会話が劇的に減ったのは平成27(2015)年4月の妻の使い込みがきっかけです。
 私の意識的な会話減少です。何せ妻を信用できなくなりましたから…。
 でも、子供達の手前、表面上ですがそれなりの会話は継続させていました。
 妻は嘘ばかりついています。
 (この「ばかり」は、この後、どんどん「嘘」を暴いていきます)

②下の子への暴力
 どういう暴力か、叩き方はどうか、強さは、頻度は…など尋問されました。
 私は躾の範囲で叩いた事はありました。でも、これは妻も同じ事。
 そんなことを主張すること自体ナンセンスだと思っています。
 逆に、妻が下の子を囲い込んでいて、
 私が下の子を叱ると、下の子はすぐに妻へ逃げていくよう仕向けられていました。
 (まるで、この主張する為に準備していたかのようです。)
 そして、妻は私のしたことに「ヒレ」を付けて話を大きくしてくれています。
 これ、妻が児童相談所(私の居住地、妻の逃亡先の少なくとも2箇所)に
 相当触れ回ったようです。
 『子供達→私の母』に妻の暴力、虐待などをチクった話を、
 後日、私が裁判所への書面に書いたのですが、
 その内容を知った妻が、報復で子供達に暴力を振るわないかを危惧して、
 私は児童相談所に相談しました。
 ですが、その相談は児童相談所内で握りつぶされていたようです。
 児童相談所は妻の言ったことを鵜呑みにして、私の相談を無視したのです。
 妻が相談している事は、裁判所への書面に書いてあり、私は知りました。
 また、その件について、私や私の母に児童相談所から
 事実確認があったわけでもありません。
 私は同様の話を警察にも相談しました。警察は動いてくれたようです。
 その事は、後に妻側から「警察にチクりやがって」
 的な書面が出てきたので私は分かりました。
 ですが、そこに児童相談所は登場していません。
  =児童相談所は動いてくれなかった。
 あれほど、児童相談所には
 「昨今、問題になっている事件のようなことが起きない様、
  安全側に倒して対応をお願いしたい。」
 とお願いしたにも拘らず、動いてくれないのですよね。
 児童相談所は名ばかりの組織で、役に立たないというか、反省のない組織です。
 きっと、また、いつか、児童相談所の失態がニュースになることでしょう。

③生活費の不渡し
 裁判官から「生活費を渡さなかった事があるのか?」の問いに
 私は「ないです。」と答えたと思います。
 ですが、実際に渡していなかった事は一度だけありました。
 妻が約束を破り、生活費の清算をしなかった平成29年3月。
 平成29年2月分を渡していないです。
 厳密には「私は『故意に』渡していない事はない」という意味で言ったのです。
 でも、この時点で妻はパートしており、
 大体2ヶ月分のパート代で充分リカバリできるくらいです。
 妻自身が約束を破った穴埋めくらいは、妻自身がするべきと思っています。
 元々、清算しない=生活費を渡さないのは、妻の怠慢による約束事ですから。

この調停では、回答に対する補足や経緯を話そうとすると
「質問にだけ答えてください。」
と裁判官は言います。
裁判なら多分そうだろうと思うけど(TVなどで見る限り)、
調停って「会話」する場じゃないのかな?
調停員は一言も口を利かず、裁判官が全部仕切ってて…
そういうものなんですかね?
調停なんて初めてなのでよく分かりませんが。

ネットの情報で調停は弁護士(代理人)の同席は可能だけど
喋るのは本人であり、代理人が居ようが居まいが、
それにより有利、不利は発生しない。
と書かれているところが多かったですが、全く違いました。
裁判官と妻側代理人の間で、馴れ合い的なやり取りが散見されました。
明らかに、私にとって「不利な状態」がそこにはありました。

後日、別の期日で私の母も出廷した事があるのですが、
母曰く、「あんた、あんな四面楚歌の中で頑張ってたんやな。」と。
この一言、かなり救われました。
私のこの状況を理解してくれる人が一人出来た!
って感じでした。